【億男】九十九(高橋一生)の最後のセリフ「夢になるといけねえ」の意味とは?
映画『億男』は主人公である一男の親友である九十九(高橋一生さん)がかなりキーマンになります。
作中では一男が宝くじで当てた3億円を盗むなどしています。
その九十九が電車での別れ際、
最後に言ったセリフ「夢になるといけねえ」とはどういう意味なのでしょうか。
映画「億男」の伝えたいことについて考えながら見ていきたいと思います。
九十九の最後のセリフ「夢になるといけねえ」の意味とは?
最後の電車のシーンで九十九は「夢になるといけねえ」と言って去っていきました。
この「夢になるといけない」とは九十九が得意とする落語:芝浜の最後のセリフです。
なぜ最後の別れ際に言ったのか芝浜の内容を見つつ考えていきます。
芝浜の最後のセリフが「夢になるといけない」
過去のシーンで九十九が落語で芝浜を披露しているシーンがあります
その芝浜の最後のセリフが「夢になるといけねえ」というものです。
芝浜のあらすじ
・怠け者で酒好きの主人公が仕事に渋々出かけると大金の入った財布を拾う。
・有頂天になった主人公は家に帰って宴会を開く。
・朝目が覚めると拾った財布がなく女房に尋ねると「夢でも見たんじゃないか」と言われる。
・宴会の支払いもあり、この一件から一念発起して熱心に働き始める。
・その後、店を構えるまでになり生活も安定したところで女房から財布の行方を聞く。
・実は、横領すれば首が飛ぶと言われたため女房が財布を役所に届けていた。
・主人公は改心出来たことに妻へ感謝し、妻はこれまでの頑張りをねぎらい主人公に酒を勧める。
・主人公は酒に口をつけようとするが「よそう、夢になるといけねえ」と杯を置く。
「億男」はまさに芝浜をなぞったまさに「現代版の芝浜」であったのです。
宝くじ3億円という大金を手にした主人公・一男。
九十九に言われるがままパーティをして気づいたときには3億がなくなっていた。
その後、九十九の知り合いを訪ねながら大金を手にした人達をみて、一男は大金の使い道・使い方を真剣に考える。
最後には手つかずの3億を九十九から返却された一男は大金があってもすぐに何かが変わるわけでないと悟る。
実際3億円を手にして離婚間近だった家族の絆を取り戻そうとしますが、結果的に離婚することになってしまいました。
その原因もやはりお金に振り回されていたからでしょう。
作品の最後は今まで通りの生活をおくりつつ借金や宝くじの3億円に振り回されていた自分を見直し、少しずつ家族に向き合っていくことになります。
「夢になっていはいけねえ」の意味について
九十九の最後のセリフ「夢になるといけねえ」と言った意味についてです
あくまでも考察ですが、
一男と自分自身に芝浜のようにならぬ様戒めで言ったのだと思います。
一男は劇中で九十九の関係者のお金持ちに出会って自分のお金の使いみちについて考えていました。
その影で動いていた九十九もお金に振り回された過去を持っていましたね。
九十九はモロッコのシーンで個人が物の価値を互いに決めて売買するシステムを作るということでバイカムを作りました。
しかし、200億の売却の話が出てからバイカムのメンバーは変わってしまい一度、九十九の夢は潰えた形となった。
その件から九十九は人を信じられなくなっていた。
そこに大金を持った一男が現れ、億男の一件を計画。一男が最後まで九十九が盗んだわけではないと信じてくれるか試しました。
結果は映画の結末のように一男は九十九を信じていました。
バイカムの一件では九十九にしては珍しく感情を荒立てていました。あの時の九十九もお金に振り回されていた状態だったのでしょう。
バイカムのときのように次は間違えないと、九十九は戒めのために「夢になるといけない」と言ったのだと思います。
九十九とのその後は?
九十九が「夢になるといけねえ」と言って別れたあと2人の関係はどうなったのでしょうか。
映画ではもう一男とは会わないような雰囲気でしたが、原作では実は「また会おう」といって別れています。
そして九十九は一度消えてしまった夢のために原点となったモロッコに向かっていったようです。
お金の正体を知った九十九は原点に立ち返りもう一度自分の目指すお金の正体を探しにいくと旅立っていくようでした。
まとめ
・『夢になるといけない』は落語:芝浜の最後のセリフ
・最後のセリフは一男と自分自身に対する戒めの要素が強い
・原作ではまた会うことを約束している
ご視聴ありがとうございまいた